「篠山城」久留米人には特別な響きがする場所、そして現在では有豊氏公入城400年を経て、新たな情報発信をしている注目の場所です。
有馬豊氏公が関ヶ原の戦い後、久留米藩、篠山城へ入城してから400年の記念すべき年は2021年。コロナ禍でもあり、大々的にというわけにはいきませんでしたが、2021年11月28日に奉祝祭が斎行されました。お城は歴代の殿様がいた場所で、現在も様々な歴史を感じさせてくれる貴重な場所。かつてのお城が神社として、しかも本丸跡に神社の本殿が存在しているというのは、実は全国的にも数少ない場所なのです。このことからも、地元の人のここに対する思いが推測できるというもの。やっぱり貴重な場所であり、歴史を歴史として認識し、久留米が未来に向かうためにも重要な場所であると感じます。
ちょっと、真面目なことから入りましたが、まずは「篠山神社」に行きましょう。大きな石垣とお濠が出迎えてくれます。

お濠を渡って、石垣を左右に見ながら坂を上ると、様々な石碑が立っています。やっぱりここは色々な人の思いが詰まった場所です。明治25年建立の「西海忠士之碑」は有栖川宮熾仁親王による書。なぜここに?この文字と、熾仁親王の書が?気になった人は、篠山神社HPをご覧ください。幕末から明治にかけての久留米藩にどのようなことが起こっていたのかよくわかります。(http://sasayamajinja.com/monument.html)

鳥居をくぐると、正面には正殿。まずは、お参りです。おみくじを引いて、自分の現在地と今後を考える大切な時間、厳粛にお参りしましょう。

お参りの後、周囲を散策すると篠山城の本殿跡でもあることをはっきりと確認することが出来ます。周囲には、かつての櫓跡がはっきりと残っており、筑後川を眺めながら、当時の世の中を想像してみるというのは歴史好きの楽しみの一つ。

有馬公だけではなく、小早川秀包(ひでかね)公が小さな祠に祀られていることも、久留米の成り立ちを感じさせてくれます。

明治10年に神社が建てられたときには、ここに祀られていたのは初代藩主豊氏公、そして、第10代藩主頼永公の2柱が祀られていました。その後、頼憧(よりゆき)公、頼咸(よりしげ)公、頼寧(よりやす)公が加わり、5柱となりました。
山田茂人宮司に、興味深いお話を伺うことが出来ました。
「ここ、篠山神社の番地は『久留米市篠山町444番地』です。でも、神社本庁に正式に届けてある住所は、412番地だったんです。412番地というと、実際にはBSの工場敷地内、現在の3ノ丸跡の小さな石碑が立っているあたりになるんです。当時そこは、久留米藩家老だった稲次家の屋敷の住所だと聞いています。当時の久留米藩は、藩難事件もあり、熊本と並び、反明治政府の拠点とみられていました。東京で日々谷焼打事件が起こった際には、久留米城でも実際に反政府の集会が開かれたようです。今となっては、想像するしかないのですが、お城跡、しかも本丸跡に神社の住所があるということで明治政府に危険視され、建設が許可されない可能性も十分にあったと思われます。そのため、政府の目を逃れるため、住所を変更し、神社の本殿を建てられるように手を打っていたのではないかと思われます。4、5年前に気づいて、正式に現在の住所に変更したのですが、本当に大変でした。」
笑って教えてくれましたが、ここで初めて文章になっている貴重なお話です。
改めて、先人たちの思いがギュッと詰まった場所で、これからも大切にしていく必要がある神聖な場所です。
取材:篠山神社
電話:0942-39-0759
0942-23-3030
受付時間:9:00~17:00
HP:http://sasayamajinja.com/
