「あじさい寺」として地元では有名な千光寺、実はすごいお寺です。そもそもの始まりは、1180年。栄西が、自作の薬師・弥陀・釈迦の三尊像を山中に安置し、白銀山千光院を建立したことに始まるといいます。「栄西」の名前は、日本史の教科書にも登場しますが、臨済宗を開き、お茶の習慣を日本に再びもたらした方。臨済宗といえば鎌倉五山や京都の建仁寺ですが、それよりも前に久留米のここに千光寺を建て、我が国初めての臨済宗のお寺を開いたということになります。この話を聞くだけで、ものすごく「すごい お寺」、ということを感じてもらえますか?

さらにもう一つ、日本三大合戦の一つ、1359年「筑後川の戦い」の征西将軍「懐良(かねよし)親王の墓」はここにあります。(久留米市内の「宮の陣」の名前は懐良親王が陣を構えたことに由来します)宮内庁では、熊本八代市にあるものを正式な御陵としていますが、ここにも御陵はあります。なぜ、ここなのか?現地に行くと、その理由が様々に想像されます。ちなみに、龍籠山という名称は、後小松天皇から賜ったもの。ただものではないお寺であることを再確認できます。



他にも筑後の国第2代国主、田中忠政(ただまさ)供養塔、地元草野氏の供養塔とここには筑後の歴史が満載です。
あじさいだけでなく、何度足を運んでも発見のある場所です。歴史を知って、実際にその場所に行くと幾重にもその風景が見えてきます。正に、歴史を知る醍醐味です!
持地(もちじ)ご住職にお話を聞きました。

Q1.この千光寺は、栄西国師の建立という霊験あらたかな禅寺ですが、なぜ、栄西はこの地を選んだのでしょうか?
A1.背振山から東を眺めると、千光明を発している地がありました。その光を発している場所を探して訪ねてみると、この場所にたどり着きました。ここには、千光庵という庵(いおり)があったようです。そこにお寺を建立したということになります。
Q2.懐良親王の御陵もあるという場所ですが、ここには人を惹きつける何かがあるのでしょうか?
A2.御陵からは、大保原合戦の地、実際に陣を張った場所(宮の陣)、遠く太宰府宝満山も見渡すことが出来ます。最後の場所としては、これまでの自分の足跡を見ることが出来るこの場所というのは、最適だと思います。
Q3.現在は、曹洞宗となっていますが、これはどのような経緯があったのでしょうか?
A3.周防にて、草野重永が負け戦となり、もはやこれまでと思った時、かくまってくれたのが曹洞宗龍文寺の典座(てんぞ:食事、供膳を司る役割の人)黙巌(もくがん)和尚。その後、無事草野に戻って来ることが出来、お礼として千光寺に黙巖和尚を招きます。それ以来、ここは、曹洞宗となりました。
Q4.あじさいが有名になっていますが、なぜ、あじさいですか?いつごろから取り組み始めたのですか?
A4.約40年ほど前、檀家さんよりピンク色のあじさいを20株くらいいただきました。それが見事に根付き、きれいに咲きまして。母は、花が好きですから挿し木で増やしていって、いつの間にか増えていきましたね。もう一つ、平成3年の台風で金木犀が倒れてしまいました。それを元に戻すため寄付を募りました。その時、足場を作らなければならないため、その足場として切り開いた場所にあじさいを植えていきました。杉も金木犀と同様、かなりの本数倒れており、すべて自分たちで片づけました。その後にもあじさいを植えていきました。そのようにして、いつの間にかここまで増えていきました。
Q5.耳納北麓の最大のパワースポットの一つだとおもいますが、お寺としてのこれからのご予定を教えてください。
A5.実は、檀家さんが少ないということがあり、作務衣のままお寺で作業をしている時間が多いです。それもあって、ここはいつもオープンにしています。350年ほど前から、この寺の配置は変わっていないようです。歩くだけでも歴史は十分に感じていただけるでしょう。地域の方はもとより、県内外の方にも気軽に散歩コースとしてご利用いただける場所になれればいいな、と思います。
龍護山(りゅうござん) 千光寺(せんこうじ) 禅 曹洞宗
〒839-0827
久留米市山本町豊田2287
0942-44-1434
